鎌倉宮 戻る
名称 | 鎌倉宮 | かまくらぐう | |
別名 | - | ||
祭神 | 護良親王 | もりながしんのう もりよししんのう |
後醍醐天皇の皇子で武芸を好んだ。 鎌倉倒幕を実現するが、のち幽閉され 9ヶ月後に乱に巻きこまれ暗殺される。 御年28歳。 |
神体 | - | ||
社格 | 官幣中社 建武中興十五社 |
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創建 | 明治2年(1869年) | ||
本殿 様式 |
神明造り | ||
札所 | - | ||
住所 | 鎌倉市二階堂154 | ||
0467-22-0318 | |||
例祭 | ・鎌倉宮のHP | ||
他 |
鎌倉宮は明治天皇によって建てられたが、これは歴史上天皇自らが創建した唯一の神社である。
御朱印 | |
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一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
境内社 『村上社』 |
村上義光の像 『撫で身代わり』 |
【説明板より】 撫で身代わりの由来 村上義光は護良親王の忠臣にして 元弘三年(1333年)正月吉野城落城の折、 最早これまでを覚悟を決めた護良親王は、 別れの酒をされました。 そこへ村上義光が鎧に十六本もの矢を 突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、親王の 錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき自分が 着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、 汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて 腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、 その間に親王は、南に向かって落ちのびました。 このように身代わりとなられた村上義光公を 境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ 「撫で身代わり」として入魂致しました。 |
護良親王御土牢 二段岩窟 |
深さ4メートル 広さ4メートル四方 |