腹切りやぐら (東勝寺跡) 戻る
名称 | 腹切りやぐら | はらきりやぐら | |
場所 | 宝戒寺の裏 | ||
他 |
元弘3年(1333年)、北条高時が東勝寺に篭り新田義貞の軍勢を迎え撃ったが敗北し、
寺に火を放ち一族およそ870名が『東勝寺跡』にて自刃した。寺は全焼したが後に再建された。
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【説明板より】
国指定史跡 東勝寺跡
東勝寺は、13世紀後半に鎌倉幕府第3代執権北条泰時(やすとき)により、徳宗(とくそう)(北条氏嫡流)家の氏
寺として創建されました。様々な宗派を学ぶ諸宗兼学(しょしゅうけんがく)の寺院であるとともに、周辺の地形と一体と
なった防御のための城郭的な機能を持っていたと考えられています。
元弘3年(1333年)、新田義貞(にったよしさだ)らの鎌倉攻めにより、幕府の最高権力者であった北条高時(たかとき)
は、東勝寺で一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は滅亡しました。平成8・9年(1996・1997年)
に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数
cmの炭の層が発見されました。
焼失後間もなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられまし
たが、16世紀後半ごろには途絶えたと考えられています。
平成24年3月 鎌倉市教育委員会
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東勝寺跡 |
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腹切りやぐら |
やぐら内に祭壇 |
東勝寺舊蹟 元弘三年五月新田義貞ノ鎌倉ニ亂入スルヤ高 時小町ノ邸ヲ跡に父祖塁世ノ墓所東勝寺ニ籠 リ百五十年來殷賑ヲ極メシ府下邸第肆廛ノ令 ヤ一面ニ焔煙ノ漲ル所トナレルヲ望見シツツ 一族門葉八百七十餘人ト共ニ自刃ス其ノ北條 執権史終局ノ惨澹タル一齣ハ實ニ此ノ地ニ於 テ演ゼラレタルナリ 大正七年三月建之 鎌倉町青年會 |